中国宝鶏観光・宝鶏旅行・宝鶏観光ツアー・宝鶏ホテル情報
宝鶏観光案内-中国 宝鶏観光・宝鶏旅行・五丈原観光
宝鶏市(ホウ ケイ)は中国陝西省に位置する地級市。
陝西省の西部に位置し、西安市・咸陽市・漢中市・甘粛省に接する。
中国西北地域の重要な要衝である。
宝鶏市の総面積は181751km²で、宝鶏市の総人口は370万人である。
宝鶏市の歴史:
前206年、秦の武将章邯は、陳倉で劉邦配下の韓信に敗北する。韓信の策は「明修桟道、暗渡陳倉」の成句となり、陳倉は現在の宝鶏を示す。有名な大散関も、現在の宝鶏にある。
757年(至徳2年)、陳倉山(現在のの鶏峰山)の石鶏が鳴いたことより宝鶏に改称された。2003年3月1日に地級市に昇格し現在に至る
宝鶏観光地案内:
五丈原:
五丈原は宝鶏市の東90km。岐山県の県城から南25kmの宝鶏市の蔡家坡にある。諸葛孔明が宿敵・魏との戦いのさなかに陣没した場所である。
下からの登り道が見える。かなりきつそうだ地図を見ると、海抜120m余り、北に渭河を望み南は秦嶺の盤棋山が控え東西は峪になっている。面積12㎡の高台で今は一面の畑地としてキビや麦が植えられていた。
蜀の諸葛亮は6回祁山を越えて布陣した。建興12年(234年)春、諸葛亮は大軍を率いて第5次の魏の討伐に向った。諸葛亮が渭水の南岸に陣を構えると、漢中は大騒ぎになった。魏の明帝(曹叡)は晉の宣王(司馬懿)が蜀の軍に対して、迂闊に戦いを仕掛けることを、ひどく心配して、宣王を抑えて慎重に対処させようとして、辛毘を軍の司馬として派遣した。宣王は諸葛亮と渭水を挟んで対陣しており、亮はありとあらゆる挑発を試みて戦いに引き込もうと策した。宣王は果たして大いに憤り、大軍を差し向けて応戦しようとした。亮がスパイを放って敵情を偵察させたところ、戻って来て報告した。
「一人のじいさんが、胸をはって黄鉞をつき、軍門に立ちはだかっているので、司馬懿の軍隊は出動できずにおります。」亮は言った。「それは、紛れもなく辛佐治(辛毘)だ。 「世説新語」
しかし、布陣して魏の軍師司馬懿と対峙すること100日余り、孔明は無念にも病没した。享年54歳であった。蜀軍は南に退却したが、司馬懿は諸葛亮の計略ではないかと恐れ、これを追撃しなかった。「死せる孔明生ける仲達を走らす」とは三国志愛読者のみならづ胸を躍らせ読んだ記憶がある。のちに人々は諸葛亮を記念して、此処に祠廟を建てた。
諸葛亮廟
北端に諸葛武候祠がある。諸葛亮の政治的手腕と軍事的才能を称えて元時代の始め頃に建てられ、明・清時代に修復されたと言う。山門をくぐって色鮮やかな廟内に入ると、正殿中央に孔明の塑像が安置されていた。
鐘鼓楼・献殿・八卦亭・東西廂・碑廊などを廻と姜維や揚儀など蜀の名将たちの塑像も据えられている。
明・清代の楹聯と扁額を掲げ、詩詞の碑碣が多い。献殿の壁に岳飛(1103-1141)が筆写した前後両篇の 「出師の表」を彫った清代の40枚の石碣を嵌め込んである。見事な文物である。
宝鶏市のホテル情報~宝鶏ホテル予約~
1、宝鶏高新商務酒店(準4星)
場所:中国陝西省宝鶏市高新技術開発区火炬路2号
2、宝鶏万利酒店(4星)
場所:中国陝西省宝鶏市高新技術開発区火炬路中段12号
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