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  端午の節句と粽の由来  
 
 
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西安観光ガイドタイトル: 端午の節句と粽の由来
端午の節句と粽の由来 今年の5月28日(旧暦5月5日)は端午節である。中国では28日よりの三連休となる。では、その端午の節句と粽の由来をご紹介いたす。 戦国時代では屈原(くつげん)(前343-前277)の名が愛国者の模範として日本でも知られている。古代楚の国は長江流域の緑が茂り、蜜柑等の木や花が生い茂る緑豊かな繁栄した国だったが、屈原の頃の楚の国は秦(始皇帝の国)の権謀術策によって政治力が衰退して行く時期であった。 屈原は楚、斉が同盟して、秦に対抗する策『合縦(がっしょう)』を推進した。一方、秦の保護下に入って、安全を図る策『連衡』を主張する勢力も強く、楚の国論は二分していた。この時、秦は楚を孤立させて滅ぼす陰謀を企てる。 詩文に秀でた屈原は若い時から楚の国王の侍従となり、内政に外交にと国王の信が厚かったが、秦の策謀と私利私欲を追い求める同僚たちの嫉妬、また彼の純粋潔白な性格がうとまれて、政治の陰謀にはめられてしまう。 悪臣の悪口に惑わされた楚の国王(懐王)は楚斉同盟を廃棄して屈原を江南に追放してしまう。その後、一度は再起用されるが、秦の再度の策謀により、和親の為に入秦した懐王は、秦国に囚われて、3年後そこで客死する。懐王後の襄王の時にも、屈原は悪口によって、再び追放される。それから楚はますます衰え、遂には秦に滅ぼされてしまう。屈原は、滅び行く祖国の前途を見るに忍びず、汨罗江に入水自殺した。 屈原が思いつめて湖のほとりを彷徨うさまを横山大観が描いている。屈原が大きな石を抱いて洞庭湖汨罗に身投げした後、楚の国の人々が屈原の無念の思いを慰める為に粽を湖にまいた。 因みに屈原の命日は5月5日であることから、端午の節句には粽や柏餅を食べるようになった。日本で祝っているひな祭りや端午の節句は元をただせば味噌きをして悪払いする風習から来ている。

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